マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

知性の分類は可能――生命の分類は?

 ――知的生命体

 というのは、実に不思議な観念です。

 

 ――知的生命体

 の特性が、

 ――知性

 と、

 ――生命

 との2つに集約をされうることは――

 7月29日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 これらのうち、

 ――知性

 については、

 ――“志向性”の高低

 を尺度に据えた分類が可能であり――

 かつ、

 ――その“志向性”が含む“外向性”および“内向性”の比率

 を尺度に据えた分類も可能である――

 といえます。

 

 この辺で、

 ――知性

 から、

 ――生命

 へ視線を転じてみましょう。

 

 ――生命

 も、

 ――知性

 と同じように――

 あることを尺度に据えた分類が可能でしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 しばしば、挙げられる可能性に、

 ――ケイ素系の生命

 があります。

 

 僕らが知っているのは、

 ――炭素系の生命

 です。

 僕らの体を成す高分子の骨格は炭素原子によって組まれているからです。

 

 ケイ素は炭素と似た性質があると考えられています。

 元素周期表では、炭素の1つ下がケイ素です。

 

 よって――

 この宇宙には、

 ――炭素系の生命

 の他にも、例えば、

 ――ケイ素系の生命

 が存在をしているに違いない――

 と予測を立てることはできます。

 

 この宇宙に、もし、地球外知的生命体が数多く存在をしていて、彼らが他種交流を盛んに繰り広げていたとしたら――

 初回の会談の場の雑談では、次のような会話が成り立つかもしれません。

 

 ――ところで、あなた方は何からできているのです?

 ――我々は炭素系ですよ。

 ――おお、そうでしたか。同じです。我々も炭素系です。

 ――〇〇の方々はケイ素系だとか。

 ――そのようで……。

 ――やはり、我々とは体の作りが根本的に違うようですな。

 ――たしかに――

 

 これは、これで――

 それなりに面白い空想ではありますが――

 

 残念ながら――

 こういう会話は、

 (決して成り立ちえないのではないか)

 と、僕は考えています。

 

 その理由は、

 ――ケイ素系の生命

 は、おそらく存在をしえないから――

 

 ……

 

 ……

 

 もし――

 “ケイ素系の生命”が本当に存在をしうるのなら――

 それを僕らは、すでに、この地球上で目にしていると思うのです。

 

 が――

 それを僕らは目にしていない――

 

 よって――

 僕は、

 ――ケイ素系の生命

 の可能性は、

 ――机上の空論

 と考えています。