マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

戦争にもルールはあるか

 ――戦争にもルールはある。

 という話をよく聞きます。

 

 ――戦争は、ただの殺し合いではない。政治の一部である。

 という話です。

 

 たしかに―― 

 その通りと思います。

 

 戦争は政治の一部であり――

 特定の政治課題の解決策としての武力行使が、戦争です。

 

 が―― 

 その武力行使は、ふつうは、

 ――人と人との殺し合い

 に帰結をします。

 

 裏を返すと、

 ――人と人とが殺し合わないのなら、それは戦争ではない。

 ということです。

 

 仮に、

 ――戦争

 が、

 ――ただの殺し合い

 ではない――

 ということを認めるにせよ――

 

 ――戦争

 の一部に、

 ――人と人との殺し合い

 が含まれていることは――

 否定のしようのない事実です。

 

 そして、

 ――人と人との殺し合い

 は、おそらくは、

 ――戦争

 の中核を占めています。

 

 僕が、

 「戦争は、しょせんは人と人との殺し合いだ」

 というのは――

 そういう意味です。

 

 ――戦争

 が、

 ――殺し合い

 である以上――

 

 ――戦争にもルールがある。

 との言説を真に受けるわけにはいきません。

 

 自分が誰かに殺されるかもしれないという状況にあって――

 誰がルールを守るでしょうか。

 

 ヒトを含む全ての生物は――

 殺されてしまえば――

 それまでなのです。

 

 未来の全てを奪われ、可能性の全てが消されるのです。

 

 そのような危機に際し――

 いったい誰がルールを守れるというのでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん――

 それでも、ルールを守れる人――あるいは、守ろうとする人――はいます。

 

 が――

 そういう人は、ひときわ理知的で誠実で教養のある人なのであって――

 それだけで、

 ――非凡な才覚をもっている。

 といえるような人です。

 

 世の中の大多数の人たちは――

 そんな非凡な才覚など、もっていないのです。

 

 ――人と人との殺し合い

 の状況に放り込まれれば――

 どんなルールも守ることが難しくなる――

 それが、

 ――人

 です。