マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「市民革命」は「政権革命」――

 ――市民革命

 という日本語は、汎用はされていますが――

 そんなにわかりやすい言葉ではない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ここでいう「市民」とは、

 ――中流階級

 という意味であり――

 例えば、

 ――大阪市

 とか、

 ――パリ市民

 とか、

 ――ロサンゼルス市民

 とかいった意味の「市民」ではありません。

 

 豊かすぎず、貧しすぎず――

 強すぎず、弱すぎず――

 賢すぎず、愚かすぎず――

 

 そういう、めぼしい評価軸で切り取った場合に、

 ――だいたい真ん中の辺りにいる。

 という意味で、

 ――中流階級

 と呼ばれているのです。

 

 そういう階級を占める人々こそが、

 ――市民

 です。

 

 この市民が、王侯貴族や宗教指導者などに成り代わって政治の権力を――政権を――担うようになった――

 というのが、

 ――市民革命

 の本態といえます。

 

 よって、

 ――市民革命

 というのは――

 本来は、

 ――政権革命

 と呼ばれるのが妥当でした。

 

 少なくとも僕には――

 そう思えます。

 

 例えば、

 ――産業革命

 に対して、

 ――政権革命

 です。

 

 ――産業の発展の様態

 に対して、

 ――政権の運営の方式

 です。

 

 このような捉え方をすれば、

  市民革命 ⇒ 産業革命

 の図式が――

 何となく自然に思えてきます。

 

 5月3日の『道草日記』で――

 僕は、

 ――おそらく、市民革命は産業革命が起こるのに必要であった。

 と述べました。

 

 これを図式で示せば、

  市民革命 ⇒ 産業革命

 となるわけですが――

 ここでいう「市民革命」は、本来は「政権革命」が妥当である――

 ということです。

 

 つまり、

  政権革命 ⇒ 産業革命

 です。

 

 おそらく――

 政権の運営の方式が変わったから――

 産業の発展の様態も変わった――

 ということです。