マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義の国かどうかの見わけ方

 民主主義(みんしゅしゅぎ)でない国では、

 ――私たちの国も民主主義に変えていこう。

 という人たちが、どんどん少なくなっていて――

 民主主義の国でも、

 ――民主主義には、どうしようもない欠点があるのではないか。

 と疑(うたが)い始めている人が多くなっている――

 と、きのう、のべました。

 

 その理由の根本にあるのは、

 ――選挙

 という仕組みの不人気である――

 とも、のべました。

 

 ……

 

 ……

 

 この話をする前に、

 ――世界には“民主主義の国”と“民主主義でない国”とがある。

 ということを――

 もう少し詳(くわ)しく話すほうが、よかったかもしれません。

 

 5月19日に、のべたように、

 ――民主主義

 というのは、

 ――みんなのことは、みんなで話しあって決める。

 という考えをいいます。

 

 ところが――

 実際(じっさい)に、みんなで集まって、みんなで話しあって決めるのは、とても難(むずか)しいのです。

 

 まずは――

 国中の人たちが集まれるくらいの広い場所をみつけないといけません。

 

 よほど国が小さくないかぎり、とんでもない人数ですから――

 そんな場所は、なかなかありません。

 

 よって――

 ほとんどの“民主主義の国”では、みんなの中から代表者を選びだし、それら代表者たちだけで話しあわせ、いろいろなことを決めています。

 

 つまり、

 ――民主主義

 といえば、

 ――代表者を選びだす仕組みがある。

 ということと、ほぼ同じ意味なのです。

 

 ――代表者を選びだす仕組み

 として、

 ――選挙

 があります。

 

 ――みんなの投票で代表者を選びだす。

 という仕組みです。

 

 この仕組みが――

 今、“民主主義の国”でも“民主主義でない国”でも、すっかり不人気になってしまっていて――

 そのことが深刻(しんこく)な問題になっている、ということは――

 きのう、のべた通りです。

 

 とはいえ――

 

 ――みんなの投票で代表者を選びだす。

 という選挙の仕組みは、とてもわかりやすいので――

 

 ――選挙がある。

 か、

 ――選挙がない。

 かで国の在り方を見わける――

 ということが、よくなされます。

 

 ――選挙がある。

 なら、

 ――民主主義の国

 であり、

 ――選挙がない。

 なら、

 ――民主主義でない国

 である――

 ということです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』