マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神の意義(3)

 ――精神の意義

 は、

 ――“身体の外部の情報”を“身体の内部の情報”に作り換える。

 ということにあり――

 それは――

 もう少し精確にいえば――

 ――“身体の外部の部分情報”を受け入れ、“身体の内部の全体情報”を書き換えた上で、そのことを基に“身体の内部の部分情報”を生み出し、それを送り出す。

 ということである――

 といえる。

 

 あえて誤解を恐れずにいえば――

 

 ――“身体の内部の全体情報”の書き換え

 にこそ、

 ――精神の意義

 は、あるのではないか。

 

 ……

 

 ……

 

 ここでいう、

 ――身体の内部の全体情報

 とは――

 身体から様々な方式で発信をされうる多様な情報のことであるが――

 そのことに、この“全体情報”の神髄があるのではない。

 

 ――身体の内部の全体情報

 の神髄は、

 ――身体が誕生をしてから今日まで持続的に受け入れてきた“身体の外部の部分情報”の全てが反映をされていること

 にある。

 

 この“全体情報”こそが――

 精神に何らかの主体性を与えているのではないか。

 

 もう少し踏み込んで述べれば――

 

 ――身体の内部の全体情報

 こそが、

 ――自我

 を象っている――

 

 あるいは――

 少なくとも――

 ――自我

 と相応に密接な関連をもっている――

 

 そういうことではないか。

 

 ……

 

 ……

 

 むろん――

 真偽はわからぬ。

 

 が――

 

 やはり――

 

 ――自我

 は、

 ――精神の意義

 の中核にある――

 と、つい考えたくなる。

 

 『随に――』