マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神の意義(2)

 精神の営みの本態は、

 ――身体の外部の情報

 を、

 ――身体の内部の情報

 に作り換えることではないか――

 と、ひとまずは考えられる。

 

 では――

 この、

 ――作り換え

 には、どのような意義を見出せるのか。

 

 つまり、

 ――精神の意義

 とは何か――

 

 ……

 

 ……

 

 この問いに一応の答えを出すには、

 ――身体の外部の情報

 の意味と、

 ――身体の内部の情報

 の意味とを――

 もう少し精確に記す必要がある。

 

 ここでいう、

 ――身体の外部の情報

 とは、

 ――身体の外部から内部へ伝わる情報

 という意味だ。

 いわば、

 ――身体の外部の部分情報

 である。

 

 一方、

 ――身体の内部の情報

 とは、

 ――身体の内部から外部へ伝わる情報

 という意味だ。

 いわば、

 ――身体の内部の部分情報

 である。

 

 これら「部分情報」に対し、「全体情報」を考える。

 

 ――身体の外部の全体情報

 とは、

 ――身体の外部に保存をされている全ての情報

 であり――

 

 ――身体の内部の全体情報

 とは、

 ――身体の内部に保存をされている全ての情報

 である。

 

 容易に想像がつくように――

 

 ――身体の外部の全体情報

 には膨大な多様性がある。

 この世界の各処から身体に向かって様々な方式で発信をされうる多様な情報である。

 

 また、

 ――身体の内部の全体情報

 にも、“身体の外部の全体情報”よりは遥かに僅少だが、相応の多様性がある。

 身体から様々な方式で発信をされうる多様な情報である。

 

 これらの概念を用いて、

 ――精神の意義

 を端的に述べれば――

 以下のようになる。

 

 ――“身体の外部の部分情報”を受け入れ、“身体の内部の全体情報”を書き換えた上で、そのことを基に“身体の内部の部分情報”を生み出し、それを送り出す。

 

 つまり――

 

 ――“身体の外部の情報”を“身体の内部の情報”に作り換える。

 とは――

 そういうことである。

 

 『随に――』