マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

情報とは何か

 ――精神の意義

 は、

 ――“身体の内部の全体情報”の書き換え

 にある――

 

 そして――

 その、

 ――身体の内部の全体情報

 こそが、

 ――自我

 を象っている――

 

 と――

 そのように考えてみよう。

 

 ……

 

 ……

 

 そのように考えるならば――

 当然ながら――

 

 ――身体の内部の全体情報

 の実態が気になる。

 

 はたして――

 

 ――身体の内部の全体情報

 とは――

 いったい何なのか。

 

 ……

 

 ……

 

 この問いに答えるには――

 まず、

 ――情報とは何か

 を――

 明らかにする必要がある。

 

 が――

 この問いに答えるのは――

 さほど易しくない。

 

 ……

 

 ……

 

 字義として答えるならば――

 

 ――情報

 は、

 ――伝えられること

 である。

 

 どこかから、どこかへ、何かが伝えられれば――

 それは、

 ――情報が伝わった。

 と、みなされる。

 

 そのようなことには――

 通常、

 ――意味

 がある。

 

 ――情報の意味

 である。

 

 が――

 その“意味”を捉えるのは――

 難しい。

 

 ――意味

 は、主観的である。

 

 誰かの主観によって――

 意味は捉えられ、表される。

 

 が――

 主観は千差万別である。

 

 ――十人十色

 と、みなすほうが、よいかもしれぬ。

 

 ある人の主観と別のある人の主観とは――

 絶対に同じではない。

 

 似ることはあっても――

 全く重なることはない。

 

 10 人がいたら、10 通りの主観がある。

 100 人がいたら、100 通りの主観がある。

 

 以下、同様にして――

 1.000 人がいたら、1,000 通りの主観が――

 1 万人がいたら、1 万通りの主観が――

 1 億人がいたら、1 億通りの主観が――

 ある。

 

 このように見解の割れることを――

 学問として扱うことはできぬ。

 

 では――

 どうするか。

 

 ……

 

 ……

 

 『随に――』