マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

情報の量

 ――情報

 は、

 ――意味

 を考えたら――

 扱えぬ。

 

 少なくとも――

 学問では――

 扱えぬ。

 

 10 人がいたら、10 通りに捉え方が分かれる――

 そんな普遍性に乏しいことは、学問では扱えぬ。

 

 ――ならば――

 と考えた者がいた。

 

 ――意味を考えなければよい。

 と――

 

 ――情報は、意味ではなく、量を考えよ。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 20世紀アメリカの電気工学者・数学者クロード・シャノン(Claude Shannon)は、

 ――情報の量

 を確率で定めては、どうか――

 と提案をした。

 

 ある出来事が起こった時に――

 その出来事が起こったことを伝える情報の量は――

 その出来事が起こる確率の逆数の自然対数で表される――

 と観てはどうか――

 との提案であった。

 

 ここでいう、

 ――自然対数

 とは、高校の数学で学ぶ対数の1つで――

 微分積分の計算に適した対数である。

 

 なぜ、

 ――確率の逆数の自然対数

 なのか。

 

 ……

 

 ……

 

 結論からいえば――

 

 そのように、みなすことで、

 ――情報

 を学問で矛盾なく扱えるようになるからである。

 

 実は、

 ――確率の逆数の自然対数

 は、

 ――エントロピー(entropy)

 と、ほぼ同一であった。

 

 19世紀――

 ドイツの物理学者ルドルフ・クラウジウス(Rudolf Clausius)やオーストリアの物理学者ルートヴィヒ・ボルツマン(Ludwig Boltzmann)らによって――

 すでに導入をされていた物理量である。

 

 要するに――

 シャノンは、

 ――情報は、エントロピーを使えば、その意味を考えることなく、十分に学問で扱える。

 と主張をした。

 

 画期的な提案であった。

 

 『随に――』