マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

本当の自然とは?

 ――幼い頃に自然の中で戯れることが、偉大な科学者になるための必要条件である。

 という考え方があります。
 ノーベル賞受賞者たちの多くに、自然の中を駆け巡った幼少時の記憶があるそうなのです。

 自然とは何でしょうか。

 野原を歩き、浜辺を歩けば、とりあえず自然を満喫した気にはなります。
 山や海は、自然としてはわかりやすい。

 が、本当の自然は、そんなものではない気がするのです。

 少なくともノーベル賞受賞者たちが幼少時に慣れ親しんだ自然は、僕らが行楽地に求める自然とは異質のものでしょう。

 ――思い通りにならないもの――

 それが自然だと、僕は考えています。

 ――思い通りにならない――でも、そこに厳然とある――

 それが自然です。

 将来、偉大な科学者に育つ少年や少女たちは、野原や浜辺で何をみているのでしょうか。

 おそらく――
 僕らが日頃、自然とみなしているものではないのです。
 草木や生き物や潮風や波打ち際などの表象ではない――

 それら表象の向こう側に透けてみえるもの――それらの背後に潜んでいるもの――自分の意識や知性では決して操れないもの――得体の知れぬ原理・多様・秩序・混沌――
 そうしたものを、みているのではないか――それも無自覚のうちに――
 そう思うのです。

 実は――
 僕は幼少時に結構、自然の中で戯れたほうです。

 夏などは近くの川に出かけ、夕方、暗くなるまで泥んこになって遊んでいました。

 が――
 今の僕は科学者ではありません。

 みていたのは表象だけだったのですね。

 今でも覚えています。
 自然の表象の背後に潜む自然の原理・多様・秩序・混沌ーーそうしたものに、僕は大して関心を払っていなかったのです。
 とりわけ、多様や混沌に対し、僕は冷淡でした。

 ――イヤに、うっとうしくできていやがる。

 と感じたのです。

 その後、原理や秩序に一定の興味を覚えましたが――
 それらは、あくまで書物の中に固定されたものでした。

 山や海が自然なのではない――
 その背後に潜む何か――それが本当の自然である――

 今の僕は、そう信じています。

 そして――
 そうしたものに、大して関心を払ってこなかった自分の幼少時を、懐かしく思い出すのです。

 後悔はありません。
 僕には、そういう生き方が向いていなかったというだけのことです。