自分が知りたいと思うことを探る過程は、とても楽しいものです。
例えば、
――基本的人権の「基本的」って、どういう意味だろう?
と思いながら、法や倫理の本を読むのは楽しいし、
――地球で生まれた最初の生命って、どんなだったんだろう?
と思いながら、原始地球や生物進化の本を読むのは楽しいものです。
が、そうした「知りたい」という気持ちもなく、
――ただ読むためだけに読む。
というのは、苦痛以外の何物でもありません。
――テストで良い点をとるために――
とか、
――仕事に必要な資格をとるために――
とかでも同じです。
何かの実利のために、例えば、法や倫理の本を読んだり、原始地球や生物進化の本を読んだりするには、並々ならぬ決意がいる。
だから、教師が必要なのですね。
――教育は教科書だけではできない。
と、いわれます。
その原理が、ここにあります。
教師の本分とは、本を読ませることにはありません。
本を読む気にさせることにあります。
そのために何をすべきか――
全ての現場の教師が真剣に考えなければいけません。
学校だろうが、大学だろうが、塾だろうが、予備校だろうが関係はないのです。