マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義のバカげた話

 民主主義という政治形式の難点は、多数決の原理にある。

 例えば、100人の集団があり――
 そのうちの51人が「Aだ」といい、残りの49人が「Aではない」といったときに――
 この100人は、集団としては、「Aだ」といったとみなす――
 そういうことである。

 こんなバカげた話はない。

 51人が男で、49人は女であるのに、100人の集団としては男である、といっているようなものである。

 この誤謬は集合と要素とを混同するところにある。

 集合に適応されるべき命題と要素に適応されるべき命題とは、質的に別物だ。

 この違いを、どうにか越えていこう――というのが、民主主義である。

 この場合、集合が国、要素が民だ。

 民主主義では、一人ひとりの民が国という虚構装置を代替する。
 もちろん、人が装置になりきることは不可能なので、せめて、

 ――全ての民が国家元首の自覚を持つ。

 ということが要請される。

 が、これも所詮、無理な話である。

 かくして、ウインストン・チャーチル(Winston Churchill)の言葉に至る。

 ――It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.

 ――民主主義は最悪の政治形式だと言われ続けてきた――これまでに試されてきた他のいかなる政治形式を除いて――

 民主主義は、出発点が間違っている。
 要素が集合と可換であるわけがない。

 が、民主主義よりもマシな政治形式を、人類は知らぬ。

 ――マシ

 というのは、

 ――多くの人が納得できる

 というほどの意味である。