マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人生の曲り角

 先日、夕暮れ時に散歩をしていて、ふと思った。
(オレは、今の自分の生活を仮の物だと思っている)
 と――

 いつかは抜け出す生活だと思っている、ということである。

 何の根拠もなかった。
 このまま歳を重ねて人生の終幕を迎える可能性は、大いにある。
 もちろん、そんなに歳を重ねることなく、ポックリと終幕を迎える可能性だって、ある。

 愕然としたのは――
 何の根拠もなく、

 ――今の自分の生活は仮の物――

 と思い込んでいた自分に気付いていなかった、という事実である。

 自分のことは自分が一番わからぬものだという。
 本当だ。

 そこで――
 もう一度、自分に問いかけてみた。
(オレは、今の生活から抜け出そうとしているのか?)
 と――

 答えは、すぐには出なかった。
 抜け出そうとしているようにもみえるし、しておらぬようにもみえる。

 しばらくして、答えは出た。

 ――抜け出そうとしている。

 というものだった。

 ところが、抜け出し方がわからぬ。
 抜け出すつもりでいるらしいことはわかっているのに、抜け口がみつからぬ。

 正確には――
 みつけ出そうとする気力がおこらぬのだ。
 今の自分では、みつけ出す前からわかっているような抜け口しか、みつけ出せぬ気がする。
 いつか通ろうとした抜け口である。

(だから、自分の気持ちに気付かぬ振りをしたのだな)
 と思った。
 いつかは抜け出そうと思っている自分の気持ちに、である。

 人生の曲り角を、これほど強く実感したことはない。
 それが悪いことなのか良いことなのか、今の僕には、まだわからぬ。