マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人の話を遮ること

 人の話を遮(さえぎ)るのは難しい。
 まだ向こうは話したがっているのに、こちらの都合で話を終わりにするときである。

 どう難しいかは、やりとりを終わりにされる立場に回ってみれば、すぐにわかる。

 ――申し訳ないけど、ちょっと今、忙しいのでね。

 などと言い訳をされても――
 実は、単に、

 ――やりとりを終わりにしたがっているだけ――

 ということは、容易に察知できる。
 人間の勘というものは、そのようなときにこそ、理屈抜きで研ぎ澄まされるものだ。

 もっとも妥当な言い訳は――
 他人の事情を持ち出すことだろう。

 ――私は本当は話をし続けたいのだけれど、他の人の都合で、続けられない。

 というものである。
 あながち嘘でもないことが多いので、わりと有効だ。

 が、常に他人の事情が持ち出せるとは限らぬ。
 持ち出せぬときは、自分の事情を持ち出すより、仕方がない。

 そうなれば――
 相手との関係がこじれるのは、避けようがない。

 困るのは――
 話を遮ったほうが、巧く遮ったと勘違いをすることだ。

 人間の勘を甘くみると、深刻な禍根を残す。

 僕の経験では――
 話を遮ることは、十中八九、巧くはいかぬ。
 遮ったことを思い出してもそうだし、遮られたことを思い出しても、そうである。

 話を遮られ、不快な思いをしたことが、度々ある。

 僕の場合は――
 相手が立場の上の人間だと、無性に腹が立つ。
 立場が下なら、
(まだまだ未熟なヤツなんだな)
 とか、
(こっちの配慮が足りなかったか)
 とかで済ませられるのだが――

 こういう性格では、宮仕えには向かぬ。