ネット・ニュースによると――
伊吹文科大臣は、今日の国会(衆院文科委員会)答弁で、大学入試センター試験(センター試験)に触れ、
――6教科全ての受験の義務化を検討する。
との考えを表明した。
おそらく、折からの履修漏れ問題を受けてのことであろう。
それは、それでよい。
学ぶ範囲は広いほうがよい。
気になったのは「6教科」である。
「5教科」の誤りだと思った。
5教科とは、ふつう国語、数学、理科、社会、外国語の5つを指す。
6教科では1つ余計だ。
ところが――
今のセンター試験に関する限り、6教科で正しいそうである。
社会を地理・歴史(地歴)と公民とに分け、6つとしている。
あるいは、今の文科省の方針が、そうなっているのかもしれぬ。
困ったことだ。
社会を地歴と公民とに分離独立させる意味がわからぬ。
それなら、むしろ理科を分けるべきだ。
どう分けるのがよいか。
例えば、物理・地学、化学・生物のように分けたのでは、うまくいかぬ。
ここは、数理と博物とに分けるとよい。
数理とは数学を用いる理科だ。物理の大部分および化学や地学の理論部分などに相当する。
博物とは数学を用いぬ理科だ。生物の大部分および化学や地学の各論部分などに相当する。
地歴も公民も必修にする必要はない。
博物も同様だ。
が、数理は必修にせねばならぬ。
なぜか。
数理は独習が極めて難しいのである。
よほど才能に溢れる者でない限り、不可能といってよい。
学生時代に文系の勉強しかしなかった人は――
どうも地歴を難しく感じすぎているようだ。
だから、必修にせねば学ぶ者がいなくなる、と――
が、理系の勉強もした者にいわせれば、そうした感覚はチャンチャラおかしい。
地歴は数理に比べれば、はるかに簡単だ。
社会を地歴と公民とに分離独立させた人々は、数理の難しさを知らぬか忘れたかの、どちらかではないか。
地歴も公民も学校で習うものではない。
書籍やTVやネットから吸収するものだ。
習うのは、せいぜい吸収の仕方でよい。
が、数理は、そうはいかぬ。
若いうちに学校でミッチリと習わねば、終生、習得できぬ。
社会を2つに分け、地歴を必修にするくらいなら――
理科を2つに分け、数理を必修にするべきだ。