世の秀才肌の人々は、しばしば、
――何をするかではない! いかにするかだ!
という。
つまり――
仕事の選択に拘泥してはならぬ――
所与の仕事の遂行にこそ、邁進するべきだ――
という意味である。
当然――
もし、天才肌の人々が、似たようなことを訴えるとしたら、
――いかにするかではない! 何をするかだ!
となるだろう。
が――
天才肌の人々は、秀才肌の人々は違って、自分の信条を周囲に声高に訴えたりはせぬ。
――自分は周囲に理解されなくて当然――
くらいに思っている。
訴える気持ちなど、さらさらない。
かくして、格言:
――何をするかではない! いかにするかだ!
のみが残った。
本来、対となるべき:
――いかにするかではない! 何をするかだ!
は、人間(じんかん)の虚空へと消えて入った。
天才肌の生き方は疲れる。
危険でもある。
が、秀才肌の生き方も紙一重だ。
少なくとも正義ではない。
たまには、
――仕事の遂行に拘泥してはならぬ。
と注意を喚起する人が出てきても、よさそうなものだ。
が、その手の小言は、ほとんど聞いたことがない。