大学時代に医学を学んだ者は、しばしば、
――医学生物学
なる表現を用いる。
僕も、その口だ。
大学時代は医学を専攻した。
「医学生物学」という表現は、どことなく気持ちが悪い。
――医学は、生物学とは根本的に異なる。
と思うからである。
根本的に異なるものを併記しているのだから、気持ち悪い。
もちろん、「医学生物学」とは、
――医学的な動機に基づく生物学
という意味であり、単なる併記ではないのだが――
生物学の諸領域の中で対象をヒトに限った領域が医学なのではない。
医学は、良い意味でも悪い意味でも、実学だ。
実社会での応用が前提となっている。
明日、診察室に入ってくる患者さんに向かって、
――どうされましたか?
と問いかけるための準備が、医学の全てだ。
医学は、あくまで目先の目的を重視する。
だから、世の医学書の大半は面白くない。
医学書というものは、すぐれたものであればあるほどに、この目的に沿って書かれているからだ。
明日、診察室に入ってくる患者さんに向かって話しかける必要のない人々にとっては、どうでもよい些事ばかりが、びっしりと書き並べてある。
生物学は違う。
実社会での応用は、基本的には考えぬ。人類にとって多少なりとも普遍的と思われる知的好奇心に基づき、実践される。
もちろん、遠くで実社会と繋がることは想定されうるが――
辟易とするのは――
生物学書の中に、こうした医学書の特性を真似しているとしか思えぬものが、存在することである。
医学書が些事ばかりを並べているのには、わけがある。
生物学書には無縁のわけである。
それをわかっていない人――あるいは、わかっていないかのように振る舞う人――が、結構いる。
そういう人が、生物学嫌いを量産している。
何を隠そう、この僕が、そうだった。
その呪縛から、今は少し自由になりつつある。