マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

芝居ができない女優でも

 最近は、ただ美しいだけの女優さんに、ずいぶん寛容になっている。

 10年くらい前は違った。
 かなり非寛容だった。

(芝居ができない女優など、クズだ!)
 と、本気で思っていた。

 それが、
(まあ、いいか。許すよ)
 に変わっている。

 歳をとって丸くなったということか。

 断っておくが――
 芝居のできる女優さんに払う敬意は、今も昔も変わりがない。

 むしろ、今のほうが、より深く尊敬できている。

 丸くなったというのは――
 女優さんの価値判定に際し、演技力以外の要素を加えてもいい、と思えるようになったということだ。

 気に入るときは、気に入ってしまうものである――
 たとえ、どうしようもない大根役者でも――

 なぜ気に入ってしまうのか。

 そういう女優さんは、独特の存在感を持っている。
 ただ立っているだけで滲み出る優美さだ。

 たぶん――
 その優美は、普遍的な優美ではない。

 極端な話、僕にしか価値のない優美かもしれない。

 だからこそ――
 寛容になれるのかとも思う。

 自分の好きな女優さんが、よそで、こっぴどく評されていると――
 なんだか、ますます好きになってしまう。

(これも何かの縁である)
 と思ってしまう。

 もちろん――
 本当は、縁でも何でもないのだけれど――