マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

釈迦の教え

 ――釈迦の教えは、宗教というよりは、哲学や思想に近い。

 と、作家の新井満さんはいう。

 その通りと思う。

(だから、僕は、仏教にだけは、なじめるんだ)
 と――

 新井さんというのは――
 去年のNHK紅白歌合戦で話題になった『千の風になって』を書いた作詞・作曲家だ。
 芥川賞作家としても知られる。

 上記の一節は、新井さんの著書『自由訳 般若心経』(朝日新聞社、2005年)から拾ってきた。

     *

 僕は、いわゆる宗教というものを、信じていない。
 宗教は、妄信の一形態だと、思っている。

 もちろん、妄信で救われるなら、妄信でよい。

 それで救われる人に対して――
 とやかく、いうつもりはない。

 そういう人にとっては――
 宗教は、妄信ではないのであろう。

 が、僕にとっては――
 妄信だ。

     *

 断っておく。

 これは、あくまで僕自身の問題だ。
 個人の問題である。

 この国や、この社会や、この世界の問題ではない。

 徹頭徹尾――
 私的である。

     *

 僕にとっては――
 宗教というものは、妄信の一形態にすぎない。

 僕は妄信が嫌いだ。
 だから、宗教は信じない。

 が――
 釈迦の教えは違う。

 あれは宗教ではない。

 哲学である。
 思想である。

 仏教でいう悟りとは――
 知恵のことだと思っている。

 知恵とは、結論だ。
 哲学的論考の――あるいは思想的考察の――結論だ。

 美しい結論である。

 釈迦の教えは、経典『般若心経』に集約されているといってよい。
 そして、その『般若心経』は、

 ――色即是空、空即是色――

 に集約されると、新井さんは説く。

 この結論の、なんと美しいことか。

 オッカムの剃刀が冴えわたっている。
 余剰の仮定が全く加味されていない。

 この世の現実を、曇り無き心で目の当たりにすれば――
 あらゆる思索の到達点は、

 ――色即是空、空即是色――

 に辿り着くように思える。

(だって、これしかないではないか――)

 そう思う。