マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分の至らなさを

 最近、生きていくことのツラさが、よくわかってきた。
 宗教関係の書籍などには、しばしば、

 ――生きることはツラいこと――

 などと書いてある。

 数年前までは、そういうものだと思って、単なる記号のように受容していたが――
 今は、その意味も含めて、理解しつつある。

 生きることがツラいのは、仕事がツラいからだ。
 自分の仕事を楽しむことが難しい。

 なぜ楽しめないのか。

 自分の仕事に誇りをもつことが難しいからだ。

 自分の仕事に誇りをもてる人は幸せだ。
 だからであろう。
 若者向けの啓発セミナーなどでは、しばしば、

 ――誇りのもてる仕事を探せ。

 などと諭すようだが――
 どんな仕事にせよ、自分の仕事に誇りをもつことは難しい。

 ずっと同じ仕事に携わっていれば、しだいに裏もみえてくる。
 汚いところ、矛盾したところ――

 そのうちに、自分の至らなさまで、みえてくる。

 それでも、なお――
 自分の仕事に誇りをもてる人は、よほどのお気楽者に違いない。

 まともな人は、お気楽者にはなりきれない。

 だから、仕事に誇りがもてなくなる――
 仕事を楽しめない――
 生きるのがツラくなってくる――

 そういうことである。

 さて、この負の連鎖を、どこで断ち切るか――

 簡単には断ち切れない。

 いや――
 断ち切る必要はない。

 結局のところ――
 自分の至らなさを抱きしめて生きていくより、仕方あるまい。

 自分は至らない――
 だから、仕事ができない――
 ろくでもない――
 いい加減――

 でも――
 それでも、生きていくために働いている――

 それで、いいじゃないか、と――

 そう思い――
 それでも真面目に仕事をし――
 誰かに褒められることがあったなら――
 それが望外の喜びである。

 生きる力になることというのは――
 結局、その程度のことでしかないのではないか。