僕は、読書が苦手である。
本当に苦手である。
(今日は少し時間があるから――)
などと思って書籍を手に取り、そぞろ読み始めてみても――
すぐに眠くなってしまう。
もちろん――
書籍の内容が、自分の関心の的であり続けるかぎりは、何とかなる。
が、少しでも関心の的でなくなると、
(カッタリ~)
と、なってしまう。
(もう、どうでもいいよ、早く終われよ)
と――
あるいは、
(ページ、字で埋めすぎ――もっと余白つかえよ)
とか――
読書を、そんなふうに思うのは――
読書による疲労が、頭だけでなく、全身に蓄積される感覚があるからだ。
*
誤解のないようにいっておくと――
苦手なのは読書であって、読解ではない。
例えば、学術論文の読解などは、そんなに苦ではない。
辞典や成書やインターネットなどを駆使し、わからない術語を一つひとつ丹念に解(ほぐ)しつつ――ときに何時間もかけて精読することは――そんなに嫌いではない――
好きでもないが――
とにかく――
読解には集中力を要する。
この集中力を持続させることが、僕には難しくないようだ。
ただし、読解の対象が長文になると、話は別だ。
苦しくなる。
単純に――
字数の問題だ。
論文は字数が多くない。
ほとんどが数千字である。
が、書籍は多い。
十数万字が普通である。
数千字の論文や論考を5時間かけて読み続けることは苦痛ではないのに――
同じ時間で十数万字の書籍を読み続けることは、たいそうな苦痛だ。
――なら、書籍を、論文を読むように読めばいいじゃないか。
と、お思いの方もおられよう。
たしかに、その通り――
が、書籍というものは、通常、そのようには書かれていない。
冒頭から集中力をフルに稼働させ、十分に気合いを入れて精読するようには、書かれていない。
そんなふうに読んでいったら、すぐに息を切らしてしまう。
喩えるなら――
書籍は長距離走で、論文は短距離走だ。
僕は長距離は苦手で――
短距離は得意である。
だから――
走るときは、常に全力疾走をしてしまうのだろう。
本当はマラソンなのに――
なぜか、徒競走と思ってしまう。
僕が読書を苦手とするのは、そのようなわけらしい。