本を読むのは大変です。
もちろん、気軽に読み流すなら何てことはありませんが――
誤読などに気を付けながら真剣に読もうと思ったら、相当に気力を充実させなければなりません。
ところが――
一般に、読書好きの人は、このことを忘れてしまいがちです。
本人に、その気はなくても――
ついつい気軽に読み流してしまう。
幸か不幸か、そのようなテクニックを身に付けているからです。
読書経験の豊かさゆえのリスクといえましょう。
その点、読書好きでない人は心配がいりません。
気軽に読み流すテクニックをもっていなければ、読書を疎かにするリスクからは無縁です。
僕は、読書が好きでした。
とくに少年時代の後半は、かなりの本を読んでいたと思います。
ところが――
二十歳を過ぎた頃に――
読書好きではない人が、誤読に気を付けながら、一行一行、真剣に読んでいる姿をみて――
考え方が変わりました。
読書が好きだろうと嫌いだろうと、そんなことは関係がない――
その本に書かれてあることを、いかに正しく読みとるか、それこそが大事である――
と考えるようになったのです。
そこへ思いが至ると、
(待てよ。オレって、ホントに読書好きなのか?)
と、自身を省みるようになりました。
(そういえば、読書のあとは、いつも重苦しい気分になってたな)
とか――
そして、気づいてしまったのです。
――僕は読書好きなのではない。読書好きだと思っている自分が好きなだけだ。
と――
以後、僕は読書嫌いを公言しております。
もっとも、今も本屋さんには週に2、3回は顔を出しているので――
本当に嫌いではないのかもしれませんが――
でも、本を読むと、いつもグッタリします。
あのグッタリ感は、やりきれません。
(もう二度と読書などするものか)
と、つい思ってしまうくらいです。
ですから――
自分で本を書くときは――
少しでも読んでいて楽な本を目指します。
読んだあとに十分な余力を残してもらえるような――
その余力で、その後、色々なことを考えてもらえるような――
そういう本が理想です。