マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

暑い夏に、子供時代の思い出が

 今朝、いつものように起きてみたら――
 雨が降っていたので、びっくりした。

 ここ何日も炎天下に苦しめられていたから――
 ちょっと拍子抜けの気分である。

 夏は、暑ければ、うっとうしい。

 が――
 暑くなければ、物寂しい。

 もちろん――
 連日、朝からガンガンに日が照っていると、
(おいおい、またかよ。勘弁してくれよ)
 などとは思う。

 が、その反面、
(まあ、夏なんだから、仕方がないか――)
 とか、
(夏らしくて、いいか)
 とか思う。

 暑くない夏が、どことなく物寂しいのは――
 暑い夏に、子供時代の思い出が、たくさん詰まっているからだ。

 家の近くの川や田んぼや雑木林――
 早朝のラジオの音声や、夕暮れ時の虫の鳴き声――

 夏の日差しは、そうした子供時代の思い出を、断片的によみがえらせる。

 なので――
 たまに暑くない夏がやってくると――
 まるで自分の思い出が奪い取られたかのように感じてしまう。

 冬は、そういうことがない。

 寒くない冬がきても、別に、どうってことはない――
 少なくとも僕の場合には――

 どうやら――
 寒い冬に、子供時代の思い出は、ほとんど詰まっていないらしい。

 この違いは、どこからきているのか。

 たぶん――
 当時、着ていた服による。

 夏は薄着になるが、冬は厚着になる。
 薄着は心を開け放ち、厚着は心を閉じ込める。

 開け放たれた心は、多くの逸話を溜め込むが――
 閉じ込められた心は、多くの逸話を弾き出す――
 そういうことだと思う。