ここ半年ほど――
体について、ずっと考えています。
主にヒトの体について、です。
僕の経歴をご存じの方の中には、
――何を今さら!
と思われる向きもあるでしょう。
たしかに僕は、学生時代に医学を専攻し、今は医師免許をもっている身です。
ですから――
ヒトの体については、よくわかっていると思われがちなのですが――
たしかに――
人より少しは多く、ヒトの体についての雑多な知識をもってはいるはずですが――
それゆえに、
(よくわからない)
と思うのです。
知識が洞察の邪魔をするということが、よくあるのですね。
ヒトの体について深い洞察を得ようと思ったら――
雑多な知識は、むしろ邪魔になるのです。
洞察とは、知識の枝葉をざっくり打ち落とすことで得られるものでしょう。
知識の枝葉がざっくりと打ち落とされた後に残るものですから――
洞察というのは、けだし無味乾燥な代物です。
冬の枯れ木みたいなものです。
が、冬の枯れ木を思い描けぬ子供には、夏の立ち木の青々とした茂みの豊かさを実感することは難しいでしょう。
根や幹があって、初めて枝葉は青々と茂りうるのですから――
だから――
冬の枯れ木と夏の立ち木と、どちらがより大切かと問われれば――
冬の枯れ木のほうなのです。
少なくとも――
冬の枯れ木のイメージを心にとどめておくことは――
夏の立ち木のイメージをつぶさに語ることよりは大切なのです。