――人間に自由意志はあるのか?
という問題は――
主に西欧の哲学者や脳科学者たちにとっては避けて通れぬものらしい。
彼らは、この問題を、しばしば好んで取り上げる。
(何がそんなに面白いのかな)
と思う。
実は、10代の頃は、僕も面白いと思っていたのだが――
今の僕は、どちらでもよいと思っている。
人間に自由意志があってもなくても、大差はない、と――
もちろん、人間に自由意志が備わっているようにみえる――少なくとも当の人間には、そのように感じられる――という点には、異論はない。
それは見せかけではないか、というのが――いわゆる自由意志論の中核だと、僕は考えている。
例えば、僕は今朝、ミルク・ティーを飲んだのだが――
これは、普通に考えれば、僕が自由意志で決めたことだ――が、そう思っているのは、実は人間たちだけで――実際には、無数の身体的・精神的な条件が積み重なって、僕の行動を規定し、追い込んでいった結果なのかもしれない――
ということである。
僕は、人間には自由意志がないかもしれぬと、思っている。
なぜ、そんな風に思うのか――
そのほうが楽だからである。
何もかも自分の自由意志で選び採っているなどと思うと、かえって息苦しい。
そうではない――何物かによって選び採らされている――これまでの僕の身体や精神を規定している様々な条件によって選び採らされている――そう考えると、しだいに気分がスーっとしてくる。
――人間に自由意志はあるか?
とばかり論じている人たちは、さぞかし疲れていくことだろう。
責任感の強い人たちだとは思うけれども――