例えば、晴れた日の夜に満天の星空を見上げると――
自分という存在を、自然との関係性で理解したくなる。
通常は、そのようには理解していない。
あくまで、他者たちという諸存在との関係性で理解している。
つまり、「自分」というのは「社会的な自分」ということだ。
が、本当の自分は、社会的である前に、生物的である。
「本当の自分」を、自我とみるか自己とみるかは難しいところだが、いずれにせよ――
そのような自分がヒトとしての個体に根ざしているということは、ほぼ疑いようがない――
その個体の頭部に埋め込まれた脳という臓器が、自分を生み出しているのだから――
ヒトの体というのは、自然の一部である。
自然の中では、社会は陽炎だ。
そんな陽炎のシガラミから「本当の自分」を解き放ってみると――
多くの悩みが消えていく。
この瞬間が嬉しい。
社会的な自分が抱える問題というのは、些事である。
少なくとも、生物的な自分が抱える問題に比べれば、どうでもよい――もちろん、その問題というのは、生老病死だ。
だから、思うのである。
例えば、晴れた日の夜に満天の星空を見上げると――
自分という存在を、自然との関係性で理解したい、と――
そう思うことで――
僕は、生命体に還ることができる。
ヒトという生物種に生まれて最も良かったと思える瞬間だ。
この惑星(ほし)に棲む生命体の群れの中に、紛れ込むことができる。
嬉しいじゃないか。