医学を学び始めて、もうすぐ15年になる。
最初の頃は、不満が怒りに達していた。
(どうして医学は、こんなにも退屈な学問なのか)
と――
物理学や数学や文学や哲学や歴史学に比べると――
医学は、学問としての面白みのなさが、際立っている。
少なくとも、僕には、そう思えたし――
今も、基本的には、そう思っている。
が、今は、その底流の考え方が、だんだん変わってきている。
(医学は退屈でも構わないのだ)
と――
いや、
(むしろ、退屈でなくてはならぬ)
と――
医学が退屈なのは、そんなに革新的ではないからだ。
どちらかといえば、常に保守的である。
医学は革新的であってはならない。
医学は人間の心や体や生活の中心を扱うので――
医学が革新的であるということは、医学の徒が、自分たちだけでなく、自分たち以外の人々の心や体や生活にも、革新を強いることになるからだ。
革新とは内から沸き上がってくるものであって――
外から押し付けられるものではない。
外から押し付けられる革新は、征服とか蹂躙とかという。
現実世界の中では、誰しもが、征服されたり蹂躙されたりすることを、心から望んだりはしない。
だから――
医学は革新的であってはならない。
革新的な医学は有害であるといってよい。
斬新な手術を次々と考案していく外科学を考えてみるといい。
その背後では、患者や患者の家族の嗚咽の声が充満しているはずだ。
現実の外科学は、そうではない。
もっと穏当である。
医学は、自身が生み出す知識体系の進展と患者や患者の家族の心の充足とを秤にかけるようなことはしない。
医学は、知識体系という名の領土を猛々しく拡大せんと欲する帝国主義とは、無縁である。