マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

患者の主観的な感覚は

 昨日は、やはり風邪をひいていたのかもしれません。

 今朝、起きたら、すごく体調が良いのですよ。
 昨日とはゼンゼン違う。
 外の冷気が心地よく感じられます。
「寒い、寒い」といっていた昨日のことが、ウソのようです。

 風邪をひいていても、気が張っているときは、なかなか気づかないものです。
 ふつうに風邪をひいているときとは、ちょっと違った感じがします。
 なので、
(これは、たぶん風邪ではないな)
 などと思ってしまう。

 患者の主観的な感覚というのは、ときに当てにならないことがあります。

 例えば――
 田舎で農業を営んでいるようなお婆さんを例にとりましょう。

 お婆さんになっても、毎日、きつい農作業に勤しんでいるんで――
 とにかく我慢強いのですね。

 そういう人が、ある日、

 ――センセ~、何となく胸が苦しいんだ~。

 といって診療所にやってくる。
 たしかに、みるからに調子が悪そうで、顔色は悪く、元気がない。

 が、よく話をきいてみると――
 今朝も、いつも通りに起きて、いつも通りにご飯を食べて、いつも通りに農作業をやっているらしい。
 ただ、ほんの少しだけ調子がおかしいから、

 ――たぶん大したことはないんだけど~。

 といって診療所にやってきたわけです。

 医師としては、何となくイヤな予感がしたのだけれど――
 本人が何度も「大したこと」を連発するので、そんなものかと思い――
 通り一遍の診察で済ませ、

 ――風邪かな?

 と思って、そのまま家に帰したりすると――
 あとが大変だったりします。

 翌朝、家で心臓が止まっていた――
 なんてことがあり得るのですね。

 その後の病理解剖で、実は重度の心筋梗塞であったことがわかったりして――

 診療所にやってきたときには、すで梗塞になりかかっていたのだけれど――
 我慢強いお婆さんは「大したことない」と言い張っていた。

 そう言い張りたくなる気持ちはわかりますが――
 願望は実態を反映するものではありません。

 以上は書物で知った話ですが――
 通常、名医というものは、よく患者の話をきくだけで、かなり正確な診断をつけられるというのですね。

 だから、

 ――患者の話は大切だ。

 との教訓に繋がるのですが――
 話の引き出し方を間違えると、取り返しのつかないことになる。

 なぜかといえば――
 それは、いつも患者の主観的な感覚が頼りになるとは限らないからです。

 たしかに、頼りになりません。
 昨日の僕の感覚が、そうであったように――