チベット騒乱で、あれほど中国に厳しかった国際世論が――
先日の四川大地震の悲劇で、一気に軟化したようです。
改めて自然の猛威を思い知るとともに――
人間の政治の営みの些少さを痛感しました。
四川大地震が起きるまでは、中国と西側諸国との軋轢は修復不可能なレベルではないかとさえ思いましたが――
何万、何十万という人々の遭難のニュースの後では、大したシコりではなかったと感じます。
人間は、結局のところは、狭い地球上の上で、肩を寄せ合って仲良く暮らしていくしかないのですよね。
ただし、現実はキレイごとばかりではないようです。
中国政府や中国共産党は、今回の災害を、政治的に最大限に利用しようと画策しているようにみえます。
例えば、温家宝首相が直ちに現地入りし、災害救助の陣頭指揮を執っているのは良いのですが――その様子を、わざわざ政府系のTV局が撮影し、世界中に配信しているところに、うさん臭さを感じなくもない――
首相が現地入りしたというニュースだけで十分でしょう。
陣頭指揮の様子を克明に伝える必要はない――
例えば、温家宝首相がTVカメラの前で、当局の担当責任者を呼んで、いわずもがなの指示を出すシーンが流されていましたが――
あれは蛇足でした。
より正確には――
そうした様子を克明に伝えることで、かえって疑心を生んだのではないか、ということです。
――災害に便乗したパフォーマンスではないのか。
と――
もちろん、温家宝首相が災害救助のプロであるならば、話は別なのですが――
中国政府や中国共産党としては、こういうときであっても、政治をやらないわけにはいかないのでしょう。
そういう国内事情や国外事情があるのですから――
これも、
――政治家の業
といえるのかもしれません。
もしかしすると、
――人間の弱さ
かもしれませんね。
それまでの思考様式を、瞬時にかつ大胆に切り換えることは――
人間には、とうていムリでしょうから――