マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

健康に普遍はない

 健康は、損なわれて初めて、その価値がわかるといいますが――

「健康が損なわれる」とは、いったい、どういうことでしょうか。

 多くは「気付く」ということだと思います。

 ――あれ、おかしいぞ?

 と気付く――
 もちろん、突然、脳卒中や心臓発作などを患い、健康が損なわれたことを否応なく気付かされるケースもありますが――

 何がいいたいかと、いいますと――
「健康が損なわれる」が「体の異変に気付く」だとすれば――
 人は、異変に気付こうとする意志がなければ、最期まで「健康」でいられてしまう、ということです。

 些細な異変を見逃し、体が次第にガマンできなくなって、いよいよ深刻な異変が出てくるまでは――
 とりあえず、「健康」でいられる、と――

 逆に、いつも体のことに神経質なまでに気を使っている人は、ごく簡単なことでも「健康」が損なわれてしまう――

 つまり――
 健康というのは、どこか幻影みたいなところがあって、およそ絶対的な観念とはみなせない、ということです。

 たぶん、全ての人に当てはまる普遍の健康などはないのです。
 あるのは、それぞれの人にあてはまる固有の健康だけです。