マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

国際的視野を持つということ

 世の中には――
 自分の死後50年や100年のことを敢えて考える人たちと、敢えて考えない人たちと、少なくとも2種類いる――
 そう感じるようになりました。

 この違いは、ふだんから国際的視野を意識的に持つようにするか、持たないようにするかを、左右しうる気がします――ことに、この日本という国においては――

 自分の死後50年や100年を考える人たちというのは――
 遠い未来に思いを馳せる人たちです。

 通常、その反作用として遠い過去にも思いを馳せる人たちです。

 遠い未来や遠い過去というものは、決して行き着くことのない別世界です。
 そういう世界に思いを馳せていると、必然的に、この現在という現実世界は狭く感じるでしょう。

 現実世界が狭く感じるということは――
 例えば――
 活動の場が日本国内だけに限られることを窮屈に思うとか――
 様々な国で生まれ育った見知らぬ人たちと共感し、理解し合うとか――
 そういった感性を持ち合わせている、ということです。

 それゆえに、ふだんから国際的視野にこだわるようになるのですね。

 よく、仕事ぶりや生活ぶりだけをみて、

 ――彼は、なかなかの国際派だ。

 とか、

 ――彼女には国際的な感覚がある。

 などといいますが――
 本当は、その背景にある死生観なり世界観なりが大事なのであろう、と感じます。