昨日は久しぶりに大学の図書館に行って来ました。
学術論文を閲覧するためです。
大学の図書館というところは、いわゆる蔵書の類いがほとんどなく、論文集の類いが本棚を埋め尽くしているのですね。
とくに理系の学部に備えられた分館などでは、そうなのです。
100年近く前から発行され続けている論文誌が、出版年ごとに合わされて製本され、天井に届かんとする本団に陳列されていたりします。
そのようにして製本された論文集は、どれも背表紙が無味乾燥なデザインなので、本棚の概観は極めて素っ気ないものです。
昨日、僕が行って来たところも、そんな素っ気ない本棚が並ぶところだったのですが――
100年近く前から発行され続けている論文誌が一同に会している様子は、実に壮観ですよ。
それら論文の著者たちは世界中に散らばっており――
しかも、その多くは、すでに亡くなっているのです。
さらにいえば――
それら論文の多くは、今となっては価値を見出せません。
科学史の評価に耐える論文など、一握りにすぎませんので――
つまり――
今となっては価値を見出せないような論文も――
その論文の知見なしには教科書が記せないような論文も――
等しく丁重に扱われ――
そうした素っ気ない本棚に眠っているわけです。
科学者は――
例えば、芸術家などとは違って――
自分が平凡な存在であることを誇りに思います。
科学史の残る素晴らしい知見を得た科学者も――
その知見は、自分の非凡な才覚が掴み取ったものとは考えずに――
たまたま向こうからやって来た知見を、たまたま自分が呼び止めただけのことである――
というふうに考えます。
そうした科学者たちの謙虚な態度が、科学の良識を培っています。
その象徴が、無味乾燥なデザインで埋め尽くされた素っ気ない本棚だ、といえるでしょう。