昨日の『道草日記』で、
――科学の質問は、しばしばピントがズレる。それは、質問者の知識や理解の不足によるものだ。
と述べました。
この場合の「知識や理解の不足」が何を指すのかといいますと――
たいていは、科学という営み自体に関する知識や理解の不足です。
科学とはどういうものか――
あるいは――
何が科学で、何が科学でなくて――
科学でないものは、どうすれば科学になるのか――
そういったことへの知識や理解の不足です。
なぜ、そういった知識や理解が不足しがちなのかといえば――
高校までの課程に科学の教育が含まれていないからです。
あるのは理科であって、科学ではない――
理科というのは、主に科学という営みによって得られた知識体系を効率的に学習する学校教科のことであって――
科学それ自体とは、ほぼ無縁のものといってよいでしょう。
科学とは、思想であり、手法であり、無形の道具です。
いってみれば、道徳みたいなものです。
もちろん、科学の目的は、道徳とは全く異なりますが――
どちらも、特定の価値観に基づく慣習の体系と、その実践が主体であるという点では同じです。
小・中学校で道徳の時間を設けるのであれば――
科学の時間も設けたらいいと思います。