マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

戦国武将が若い女性に人気だそうで

 伊達政宗真田幸村といった、いわゆる戦国武将が――
 若い女性の間で人気なのだそうですね。

(ええ~?)
 という感じです。

 若い女性と戦国武将――
(いったい、どこに接点があるわけ?)
 と、訝っております(笑

 長宗我部元親など、ちょっと有名とはいいがたい戦国武将までもが――
 けっこうな人気なのだとか――

 ますます、
(ええ~?)
 という感じです。

 長宗我部元親なんて――
 歴史上の人物としては、知る人ぞ知るといった感の強い戦国武将です。

 そういった戦国武将までもが若い女性の間で人気なのは――
 実は、そんなに難しい理由ではなく――
戦国BASARA』というゲームソフトが火付け役なのだそうです。

 ゲームのイラストや CG が、若い女性にも魅力的なのだそうですよ。

 たしかに、魅力的に描かれていますね。
 先ほど、ネットで検索してみました(笑

 ちなみに、伊達政宗真田幸村長宗我部元親の3人は――
 このゲームに関するキャラクター人気投票でのベスト3なのだそうです。

(なるほど~)
 という感じがしますね。

 ところで――

     *

 このゲームの制作者たちは、かなり日本の戦国史の妙に関心があるようですね。

 ゲームの内実を、僕はほとんど知らないのですが――
 この3人、実は1つのキーワードでつなげることができます。

 大坂の陣です。
 江戸期のはじめに、徳川氏が豊臣氏を滅ぼした戦争です。

「つなげることができる」ということは――
 実際にはバラバラなわけで――(笑

 まず、世代が違います。
 伊達政宗真田幸村(正しくは真田信繁)とは同年代ですが、長宗我部元親は2人の親ほどの年上です。

 また、戦国武将としての格が違います。
 伊達政宗長宗我部元親とは戦国大名として広大な領地を支配した経験があるのに対し、真田幸村は今でいうフリーターみたいな役回りばかりで、広大な領地を支配した経験がありません。

 また、子孫たちの顛末も違います。
 真田幸村長宗我部元親の子孫たちは、多くが殺され、江戸期まで隆盛を保つことはなかったのに対し、伊達政宗の子孫たちは強かに生き残り、明治期まで隆盛を保ちます。

 これら3人が、なぜ「大坂の陣」でつながるかといえば――
 3人とも、この戦争に参加しているのです、敵味方に分かれて――
 ただし、長宗我部元親の場合は息子の盛親なのですが――まあ、元親だけ世代が違うので、仕方がないですね(笑

 この戦争の結果――
 伊達政宗が勝者となり、真田幸村長宗我部盛親は敗者となりました。

 が――
 話は、これでは終わらなく――

 真田幸村の幼い息子は、伊達政宗の家臣に預けられ、保護されています。
 片倉重長という家臣で、父・景綱は伊達政宗の右腕として活躍した武将です。

 味方の敗北を悟った真田幸村は、片倉重長の戦いぶりに惚れ込み、「あの武将に我が子らを託したい」と考え、戦いの合間に使者を遣った――
 という逸話が残っているそうです。

 その後、片倉家は真田幸村の遺児らを保護し続け――
 真田家は伊達家の家臣として生きながらえました。

 こうした不思議な縁が後世に伝わったのは――
 大坂の陣で、伊達政宗真田幸村とが、直に軍勢を戦わせたからでしょう。

 長宗我部盛親は、戦争の終盤には2人から離れたところにおりました。
 長宗我部家が真田家のように生き残れなかったのは、そのためかもしれませんね。