きょうのNHK『クローズアップ現代』で、月周回衛星「かぐや」によって撮影された映像が放映されていましたが――
それをみて思ったのです。
(人類は本当に宇宙を目指すのだろうか?)
と――
(本当に地球を巣立っていくのだろうか?)
と――
15年前の僕にとっては――
それは愚問でした。
人類が、いつか地球を巣立ち、広大な宇宙空間に文明の網を張っていくであろうことは、至極当然の予測でした。
が――
今はそうは思っていない自分がいるのですよね。
人類にとって、地球の表面以上に安楽な場所があるのかと思うのですよ。
もちろん、文明が十分に進めば、宇宙空間に快適な居住空間を築くことはあり得るでしょう。
が、そうなったとしても――
そこは科学技術がもたらす人工的な居住空間であり、何かが1つでも狂えば、あっという間に修羅の場と化すであろう居住空間です。
科学技術の危うさは原理的なものであり、それは文明の進化の度合いには依存しないでしょう。
先日も、エール・フランスの旅客機が大西洋上に墜落しましたが――
その惨状は、1937年のヒンデンブルク号の爆発事故と根本的には同質です。
ヒンデンブルク号は飛行船で、浮揚用気体として水素を利用していました。
水素は非常に引火しやすい気体です。
よって、ヒンデンブルク号の旅は爆弾にぶら下がって空を行くようなものでした。
そうしたことの反省に立って、以後、飛行船は利用されなくなり、現在の型の旅客機が主力となったのですが――
たしかに、飛行船よりは遥かに安全になったとはいえ――
先日のエール・フランスの墜落事故のような惨事は、現に起こっているわけです。
科学技術が惨事を起こすか起こさないかは確率の問題であり――
起こすときは起こすものなのですね――その確率が、文明の進化に伴って減るかもしれない、というだけで――
そうした科学技術の原理的な危うさを十分に認識した上で、人類は、地球の表面以上に安楽な場所を宇宙空間に築き上げようとするでしょうか。
どうも僕には、そうは思えない――
宇宙空間に壮麗な居住空間を築く科学技術があるのなら――
その技術を地球環境の保全に回すような気がしてなりません。
いわば「地球の不老不死化」計画ですね。
正確には「太陽系の――」もっと正確には「太陽の不老不死化」ですが――
地球環境の快適さは、結局は太陽のエネルギーに依ったものなので――
15年前の僕なら、
――け! ナニつまらんこと、いってやがる!
と歯牙にもかけなかったに違いない未来文明予想図ですが――
今は、
(たしかに、つまらんけれど――でも、そういうもんだと思うんだよね)
と、いくらか諦め気味です(苦笑