マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

成人年齢の議論は

 成人年齢を18歳に引き下げるかどうかで、ちょっとした議論になっていますね。
 きっかけは、昨日、法務大臣の諮問機関である法制審議会の「民法成年年齢部会」というところが、

 ――成人年齢は18歳が適当である。

 という内容の最終報告を行うと報じられたからでした。

 この最終報告の前提となっているのは、いわゆる国民投票法だそうです。

 来年の5月に施行される予定の法律です。
 日本国憲法を改正するための手続きを定めています。

 この法律では、国民投票投票権者は

 ――18歳以上

 となっているそうです。
 よって、「成人年齢も18歳に引き下げるべきである」というのが、法制審議会の想定する論拠のようですよ。
 たぶん、かなり乱暴な言い方ですが――簡単にいえば、まあ、そういうことです(苦笑

 もちろん、ことは論理の整合性だけではないでしょう。
 成人年齢を18歳とすることで、より早い年齢から大人としての自覚を促していくことで、社会全体を成熟させていきたい――という狙いもあることでしょう。

 結構なことだと思います。

 ただし――
 もし、この「促し」が、18歳前後ないし18歳以下の若年層のみに向けられるのだとしたら――
 その実効性は乏しいといわざるをえません。

 社会全体が成熟することなど、ちょっと期待できないでしょう。

「促し」は、むしろ年配層に向けられるのがよいでしょう。
 20代、30代はもちろんこと、40代、50代、60代に向けられるのがよい――

 何歳以降を成人とするかは、実質的には法律とは無関係です。
 それは、曖昧な気分や日常の感覚で決まっています。

 しかも、10代や20代の若年者たち当人ではなく、その親の世代の気分や感覚でしょう。
 40代、50代、60代といったところでしょうか。
 この年代の感性が受け入れないかぎり、成人年齢を18歳とする取り決めは、重きをなさないに違いありません。

 そもそも、成人年齢の議論は、若年者にとっては、それほど有意義ではありません。
 年配者にとってこそ、有意義な議論なのです。

 成人年齢の議論は、所詮は形式論です。

 成人であることを意識している若年者は――
 法律がどうなっていようと、年配者がどう思っていようと――
 自分の成人年齢は、自分自身の思いで決めます。

 逆に――
 成人であることを意識していない若年者は――
 その後、何年たったって、何十年たったって――
 自律的に大人になることはない――

 そのような実態を念頭におきながら、どのような線引きが適当かを考えるのが、成人年齢の議論です。

 このような議論が有意義に感じられるのは、若年者たちというよりは、「かつての若年者」たる年配者たちでしょう。
 今日までの社会を培い、担ってきたのは、主に年配者たちなのですから――

     *

 以上のようなことを考えたのは――
 昨夜、成人年齢のニュースを伝えるTV番組をみたからでした。

 いわゆる街頭インタビューで――
 幾つかの番組が、成人年齢のニュースの感想を、10代と思しき人たちばかりに問うていたのです。

 問う相手を間違えています。
 模範解答的な感想しかきかれなかったことが、その証左です。