マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

そんなに「教育」を嫌わなくたって……

「教育」という言葉が嫌いな人は、少なくないようですね。

 かの福沢諭吉は、

 ――「education」の訳語として「教育」は不適切である。

 と主張し、「教育」を嫌ったそうです。

 英語の「education」には「外から働きかけて能力を引き出す」という意味があるから、「教え育てる」と書く「教育」では、「education」の意味を十分には内包できない――
 と考えたようです。

 僕は、
(そうでもないだろ)
 と思っています。

(なにも、そんなに「教育」を嫌わなくたって……)
 と思います。

 たしかに、「education」の説明に「教え育てる」は不適切だと、僕も思いますよ。

 が――
「教育」の「教」は――
「教える」の「教」だけでなく――
「教わる」の「教」でもあるのですよね。

「教」には「年配者と若年者とが直に向き合って交流を保つ」という意味もあるそうです。

 よって――
「教育」の字義を「年配者と若年者とが交流を通して育つこと」と理解することもできます。

 この場合――
 育つのは若年者だけとは限りませんよ。

 年配者のほうだって、育つ可能性は大いにあるのです。