マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

命題を証明しようと思ったら

 何かの命題を証明しようと思ったときに――
 その命題のいわんとすることに納得をしてしまっている場合には――
 とてつもない困難を伴います。

 というのは――
 最後まで証明しようとする動機を維持するのが難しいからです。

 つい、
(まあ、いいか)
 で済ませちゃうのですよ。

 済ませちゃっても、自分は全く困らないのです。
 だって、その命題の意味するところに、すっかり納得をしてしまっているのですから――

 自分が納得をしてしまっているのに、さらに自分以外の誰かを説き伏せるというのは、余計な自己顕示に思えてしまいます。

 血気が盛んなうちは、それでも構わないのですが――
 良い加減に歳をとってくれば、そうもいっていられません。

 一般に、人の社会において、自己顕示で得るものというのは、それほどには多くないのです。

 よって、命題を証明しようと思ったら――
 その命題のいわんとするところを、とことん疑ってみるのがよいでしょう。

(それって、もしかしてウソなんじゃない?)
 と思えるくらいでないと――
 最後まで証明を尽くすことは不可能でしょう。