―― A は B である。
といわれ、
――あ、そうなの。
と思う人と、
――違うんじゃない?
と思う人がいますね。
どちらが良いとか悪いとかいう話をするつもりはありません。
「A は B である」といわれ、すぐに納得をしてしまえるのは一つの能力です。
それには、何らかの感性が求められます。
また、すぐに疑義を抱けるのも一つの能力です。
そこにも、何らかの感性が挟まれます。
大切なことは、どちらかに偏らないことです。
「A は B である」といわれ、いつも納得をしたり、いつも疑義を抱いたりするのが良くない――
時や場合や雰囲気、心境などによって、納得をしたり疑義を抱いたりするのが良いということです。
「良い」というのは、何のために良いのか?
ひと口でいえば、創造です。
何か新しい考えを生み出すためには――ということですね。
極端な話――
対象が同じ命題であっても、時や場合や雰囲気、心境などによって、「納得」か「疑義」かの結論は、変わるほうがよいでしょう。
「納得」と「疑義」との間を揺れ動くことが大切なのです。
「納得」や「疑義」に行き着くことは、それほど大切ではない――
行き着くまでの道程に、創造の萌芽が隠れているのです。
最近では、こうした揺れ動きの態度を、
――ブレる
といって揶揄する向きがあります。
報道機関によれば――
麻生総理は、よくブレるのだそうです(笑
たしかに、一国の総理が公衆の面前でこれみよがしに揺れ動くのはどうかと思いますが――
ブレることそれ自体は悪いことではないでしょう。
あ――
麻生総理のブレの悪いところは、様々な意見に耳を傾けるものの、いちばん最後に耳を傾けた意見にいつも引きずられる、というところだそうです。
もし、それが本当なら――
たしかに困ったことですね。
「いちばん最後に」で「いつも」というところが、良くないのです。