――英語を喋るのは難しい。書くなら、どうにかできるけど――
という日本人は、決して少なくありませんね。
それに対し、
――そんなことはない。日本人は英語を喋る練習が足らないからダメなんだ。「書けるのに喋れない」なんて奇妙なこといってるのは、日本人くらいだぞ!
と、いったりもします。
たしかに――
日本人の英語が、いわゆる受験英語に偏っていて、そこで「喋り」が軽視されていることは間違いありませんから、「書けるのに喋れない」ということになるのでして――
――そういえば、高校で英作文の授業は散々に受けたけれど、英会話の授業は皆無だった。
という話は、ごく当たり前です。
もっとも――
最近では少しは状況が変わってきているようですが――
ところで――
*
英語を喋るのと書くのとでは、結局は、どちらが難しいのでしょうか。
かつて多くの日本人が思っていたように、喋るほうが難しいのか――
それとも――
最近の日本人が思い始めているように、書くほうが難しいのか――
僕の実感は、こうです。
――単に喋るだけだったら書くよりは簡単だが、正確かつ円滑に喋るのは、正確かつ円滑に書くよりも難しい。
「正確かつ円滑に」というのは、「文法的に正しく」かつ「ムダのない適切な表現で」という意味ですよ。
これは難しい――
だって、日本語でも難しいのですから――
少なくとも僕の場合は――
英語で喋るときだけでなく日本語で喋るときも、けっこう文法的に間違えたりムダな表現を用いたりしていますね。
こうした難しさは――
無意識に意識を挟み込む難しさだろうと思います。
日本語にせよ英語にせよ、僕らが何かを喋っているときに――
自分で喋っている文章を最初から最後まで意識することは、まずありません。
正確に喋ろうと思ったときにのみ、意識するのです。
ところが――
喋っている文章を意識するときというのは、喋り自体が何となくぎこちなくなっています。
たまに人前でのスピーチに原稿を丸暗記して臨む人がいますが――
そういう人の喋りは、やはりぎこちないものですよね。
円滑に喋るためには、文章を意識してはいけません。
が、正確に喋ろうとするには、文章を意識しないといけない――
だから――
正確かつ円滑に喋ろうと思ったら、無意識に意識を挟みこむような操作が要求されるのです。
どういうことかといいますと――
基本的には無意識に喋っているのだけれども要所では文章を意識して喋っている――
ということですね。
これは、本当に難しいですよ。
かつて多くの日本人が「英語を喋るのは難しい」と思っていたのは――
たぶん、知らず知らずのうちに「正確かつ円滑に喋る」を想定していたからでしょう。
実際には、単に喋るだけだったら、そんなに難しくはありません。
例えば、東南アジアなどでは、
――英語は喋れるけど書けないよ。
という子供が大勢いるそうです。