マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小説が書けなくなるとき

 健康で明朗な精神生活を送っていると――
 小説が書けなくなります。

 少なくとも緊迫感のある小説は書けなくなるものです。

 健全な心は、人の生活に安全や安心をもたらしますが――
 そもそも小説というのは、安全や安心とはかけはなれたものです。

 いや――
 これは、ちょっと言い過ぎか――

「かけはなれたもの」が不適切ならば――
「安全や安心だけでは不十分となるもの」と言い換えておきましょう。

 二六時中、安寧な精神生活を送っている者に、面白い小説は書けません。
 小説は、それが書かれることによって、それを書いた者の心に何らかの安定をもたらしています。

 小説書きは、小説を書くことによって自分の精神生活に安寧を呼び込んでいるようなところがあるのですね。
 最初から安寧を手にしている者に、小説を書く動機は見出せないでしょう。

 だから――
 小説書きの最大の障害は、安寧な精神生活ということになりますね。

 不穏な精神生活こそが、小説書きの活力源です。

 その活力をいかに手にするかは、それぞれの小説書きにとっての秘中の秘であることでしょう。

 僕も、しばしば小説を書きますが――
 自分の精神生活を不穏なものにする術は、最高機密にしておきたいのですね(笑

 まあ――
 そんな大したもんじゃないんだけど――