マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

都合の悪い事実を隠蔽するために

 都合の悪い事実を隠蔽するために、都合の良い事実だけをことさらに強調することは――
 もちろん、社会倫理の原則論に照らせば、多分あまり良いことではないのですが――
 それでも、
(ときには、必要なことかもしれないな)
 とは感じます。

「都合の悪い事実」の「都合の悪い」が、社会の大多数の人々にとっての「都合の悪い」であるならば――
 それを隠蔽しようとするのは、人情です。

 その結果、仮に社会の少数の人々が不安に思ったり不快に思ったりしても――
 残りの大多数の人々が安寧な精神状態を保てるのであれば――
 とりあえず社会は安定します。

 社会が安定していれば――
 ひとまずは何とかなりますが――

 もし、社会が不安定になれば――
 まわりまわって結局は自分や自分の家族らの生活すらも危うくなりかねません。

 ですから――
 どうしようもないのですね。

 都合の悪い事実を隠蔽するために、都合の良い事実だけをことさらに強調する――

 誰だって自分や自分の家族らの生活は守りたいのです。

 ……

 ……

 都合の良い事実だけが、ことさらに強調されているのを見聞きするときは――
 いつも、そんなことを感じます。