教育の本質は、知識の伝授ではなく、思考の教授にある――
とは、よくいわれることですが――
では、どうすれば思考を教授できるのか、という話は容易ではありません。
例えば、思考の過程を図示したりすれば、少しはわかった気分にさせてあげられるとは思いますが――
教師自身が思考をするときに、いちいち図示しているわけではありません。
思考を教授するというのは――
結局、目の前で思考してみせ、その様子から思考の実際を汲み取ってもらうより仕方ありません。
非常にまどろっこしいのですね。
ところが、知識の伝授は、そんなことはない――
知識を整理して陳列してみせ、それを「はい」といって手渡せばいい――
教師は知識の陳列に工夫を凝らし、それを手渡した相手が「こんなにたくさん受け取れません」といったら、「お前は頭が悪いんだな」といって誤摩化すこともできる――
ゆえに、自分の知識量に自信を持っている教師ほど、知識の伝授に偏った教育をしがちです。
その気持ちは痛いほどよくわかります。
だって、楽ですもの――
でも――
教育というのは、そういうものではないのですよね。