自分の気持ちというのは、自分が一番わからないものです。
とくに自分の生の気持ち――本音、本心――は、本当にわかりません。
知識や理屈によって、すぐに質的に変化させられるからです。
――本当はこう思っているんだけれども、世間では、ああ思うのがよいとされている。
という知識が、生の気持ちを変性させ、
――本当はこう考えているんだけれども、矛盾や不合理を避ければ、ああ考えるのがよい。
という理屈が、生の気持ちを変生させます。
知識も理屈も、学校や書籍などで学ぶものですよね。
つまり、学校や書籍からより多くを学んだ人ほど、自分の生の気持ちがわかりにくい――
ということになります。
自分の生の気持ちをわかろうと思ったら――
学んだことを捨てるのがよいのかもしれません。
学んだことを捨てるには、どうすればよいか――
それには――
誰かとお喋りをすればよいのかなと感じます。
ただお喋りをするだけでよいのです。
その人のいうことから何かを学ぼうなどと思ってはいけません。
ただ夢中でお喋りをする――気楽に聞く、気ままに話す――知識を呼び覚ましたり、理屈を組み立てたりはしない――
そうすることで、他人の知識や理屈に接することができ――
自分の知識や理屈からは解放されるでしょう。
その解放は一時的なものですが――
それでいいのです。
その僅かな時間――誰かと夢中でお喋りをしている僅かな時間――に、ふと閃いたことや感じとったことが――
自分の生の気持ちではないでしょうか。