マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

2つの“諦める”

 僕は、自分で自分のことを、

 ――諦めの早い男だ。

 と思っています。

 そして――
 そのことに、何となく誇りを持っています。

 というのは――
 何かを諦めるというのは――
 それまでの自分の価値観を捨てることであったり直すことであったりすると考えているからです。

 それまでの自分の価値観を捨てたり直したりすることは、決して生やさしいことではなく――
 むしろ、自分の精神的な成長に欠かすことのできない厳しい鍛錬の一環である、と――

 ところが――

     *

 きょう、ネットをみていたら、

 ――たんに諦めることと、すばやく気持ちを切り替えて諦めることとを、決して混同してはならない。

 というコメントを目にしました。

 すなわち――
 何かを諦める際に――
 諦めるまでに、十分な誠意や熱意をもって取り組んだかどうかを、決して見落としてはならない、と――

 十分な誠意も熱意をもつことなく、ただ無責任かつ不徹底に取り組んだだけで、すぐに諦めることと――
 十分な熱意や誠意をもって取り組んでいながら、見込みがなさそうだとわかって、すぐに諦めることと――
 これら2つの“諦める”は、似ているようで、まったく異なる、と――

(たしかに、その通り……)
 と思いました。

 十分な熱意や誠意を一度ももつことなく諦めるのは、わりと容易なのですよね。
 十分な熱意や誠意を一度はもった上で諦めることが、困難なのです。

 人の精神的な成長に欠かせないのは、まちがいなく後者のほうでしょう。