世の中には、
――「天才少年」信仰
のようなものがありますね。
たいていは「少年」ですが、「少女」であることも珍しくはなく――
だから、厳密には、「『天才少年・少女』信仰」と記したほうがいいのかもしれませんが――
とにかく、「天才少年」信仰と呼ぶほかはない社会的動向――大げさにいえば――がある――
例えば、
―― IQ160以上!
とか、
――○○検定1級を10歳で合格!
とか、
――○○の競技で高校生と試合をして勝った小学生!
とか――
こうした話題に触れる度に――
僕は疑わしく感じるのです。
(その少年ないし少女は、本当に天才なんだろうか?)
と――
例えば――
高校生と試合をして勝ったのが小学生であったから話題になったのであり――
大学生であったなら、何の話題にもなりえません。
検定に合格したのが10歳であったから話題になったのであり――
30歳であったなら、何の話題にもなりえません。
「IQ160」というのも、同年齢の子供たちと比べるから「160」なのであり――
大人たちと比べたら「100」を少しこえるくらいでしょう。
要するに――
いわゆる「天才少年・少女」の多くは、
――他の子供より早く大人になっている子供
という様相が強いだけではないのか、というのが僕の疑念です。
もう少し味気なく述べるなら、
――実年齢に比べて早く成長している。
ということです。
真の天才は、実年齢に依存しないとみたほうがいいでしょう。
10歳であろうが30歳であろうが、天才は天才なのです。
多くの人が30歳にならないとできないようなことが、10歳にうちにできてしまう――というのは、秀才かもしれませんが、天才ではありません。
本当の意味での「天才少年・少女」は――
10歳のときも30歳のときも60歳のときも、余人にはない技能を発揮できる人のはずです。
「天才少年」信仰には、そうした視点が欠けているように思います。