マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「放置プレイ」が好きではなかった

 子供の頃から小説を書いておりました。

 ので――
 そんなに上品ではない言葉も、何となくは習得しておりました。

 けれども――
 表向きは、そういうことにはウトいふうを装っておりましたから――
 そういった言葉を習得しても、秘して使わないようにしておりました。

 そうやって覚えた言葉の中に、

 ――放置プレイ

 があります。

 僕が、この言葉を知ったのは、かなり昔であったはずです。

 どれくらいの昔なのか――
 ちょっと、正確にはわかりませんが――
 この言葉が、今日のように広く普及するようになる前であったことは確かです。

 だって、我が耳を疑わんばかりに驚いたのですから――
 この言葉が、本来の文脈以外で用いられているのを耳にして――

 本当に、広く普及してしまいましたよね。
 例えば、次のように日常会話でも用いられます。

 ――きのう、会社の飲み会で先輩たちの話についていけなくて、放置プレイにされた。

 こんな言い回しを若い女の子たちがしていたりするのを聞くと、つい、
(本来の意味を、ちゃんとわかっているのかな~)
 などと勘ぐりたくなります。

 まあ、きっと、わかっているのでしょうが――(笑

 そういえば――
 歌手で作詞家の一青窈さんが――
 ご自身の詞で使われているのを聞いたときも、かなり驚きました。
『心変わり』という作品の中に、

 ――てんやわんや 放置PLAY

 というくだりがあります。

 聞くところによると――
 一青さんは「放置プレイ」という言葉が使いたくて『心変わり』の詞を書かれたのだとか――

 真相は不明ですが――
 もし、そうなのだとしたら、強烈に惹かれたのですね――この言葉に――

 どこに惹かれたのですかね~。

 ちょっと、わからないですね~。

 実をいうと――
 僕は、あまり好きな言葉ではなかったのですよ。

 語感も語意も、それらが生み出す印象や心象も――
 僕の美的センスとは今一つ合致していなかったといいますか――

 だから――
 僕が「放置プレイ」という言葉を使ったのは、たぶん、きょうの『道草日記』が初めてでないかと思うのです。

 あ――
 もしかしたら、小説の中で使ったことはあったかも――
 ただし、地の文ではなく会話文の中で――

 いくら小説でも、おいそれと地の文で使ったりはしなかったはずです。
 それくらい、好きではなかったのですよ――「放置プレイ」という言葉が――

 けれども――
 きょう何度か使ってみて、気付きました。

 この言葉、妙にユーモラスなんですよね。

 本来の語意がもっているはずの陰湿なイメージが、ほとんど感じられません。

 言葉は、やはり変わるものなのですね。

 たぶん、それを使う人間の気持ちが変わっているのだと思います。