マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

境界が曖昧だからこそ

 僕は虚構が好きで――
 子供の頃から小説を書いていたりするのですが――
 30歳を過ぎたあたりから、虚構に対する現実という概念にも、注意を向けるようになりました。

 いわゆる、虚構と現実との対立構図ですね。

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 世の中の事物を、虚構と現実とに分けるとすると――
 虚構というのは、たいていは人工物で――
 現実というのは、たいていは自然物なのです。

 人の作為によって意識的に作られたものが虚構で――
 人の作為とは無関係に、そこにあるものが現実です。

 ところが、実態は、もう少し複雑で――
 虚構というのは、現実の断片を組み合わせて作られているのですよ。

 例えば、実写映画の映像の構成要素は、ほぼ全て現実の事物です。
 これが、アニメーションやコンピュータ・グラフィックスになっても、本質的には同じです。
 アニメーションは、無数の絵という現実からなり――
 コンピュータ・グラフィックスは、画面の光点という現実からなる――

 つまり、虚構は、すべからく現実に還元される、ということです。

 だから――
 虚構と現実とを巧く分けようと思っても、実は、そんなに簡単には分けられない――

 虚構をどこまで取り崩したら現実になるか――
 現実をどこまで組み立てたら虚構になるか――
 その境界は、きわめて曖昧です。

 だからこそ、人は、虚構と現実との対立構図に惹かれるのでしょう。
 境界が曖昧だからこそ、その2つをわざと対置したくなるのです。

 僕は虚構が好きなのですが――
 本当に好きなのは、その境界の曖昧さです。