マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物事に矛盾をみつけたときに

 物事に矛盾をみつけたときに、

 ――間違っている!

 と糾弾するか、

 ――なんでだろう?

 と懐疑するかで――
 以後のその人の振る舞い方は大きく変わってきます。

「間違っている!」と思う人は――
 どこかに修正すべき、あるいは削除すべき何かがあると考え、それを必死に探し出そうとするでしょう。

「なんでだろう?」と思う人は――
 そのような矛盾が生じてしまった経緯に関心が向き、その分析や解釈に没頭しようとするでしょう。

 僕は、できるだけ「なんでだろう?」と思うようにしています。

 それは――
「間違っている!」と思ったら、あとで疲れるからなのです。

 修正すべき何かや削除すべき何かを探し出すのは大変で――
 かりに首尾よく探し出せたとして、それをきちんと修正したり削除したりするのは、ひと苦労だからです。

「なんでだろう?」と思えれば、かなり楽ですよ。
 基本的には、パズルを楽しんでいる感覚です。

 パズルは解けば終わりです。
 そのあとで何かを修正したり削除したりする必要はない――

 だから、「なんでだろう?」と思うほうが、ずっと楽な態度であり、賢い生き方なのですが――
 それでも――
 僕には「なんでだろう?」が、なじまないようでして――

 ちょっと油断をしていると――
「間違っている!」と思ってしまっている自分がいるのですね。

 そういう性格なのでしょうか。

 それとも――
 もって生まれた性質――遺伝子レベルで規定された性格――なのかもしれませんね。

 ……

 ……

 ああ~。
 疲れる~。

 ……

 ……

 本当は、矛盾を矛盾のままで受け入れるのが一番よいのです。
 やさしく包み込むように――