マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

文章の内容は実用文書よりも文芸の文章でこそ

 わかりやすい文章というのは、ある意味、杓子定規のところがあるのですよね。
 例えば、平易な言葉ばかりが並んでいたり、言葉の使い方が単調になっていたり――

 もし、文章中の全ての表現が読み手の想定通りであったなら――
 たしかに、わかりやすい文章にはなるでしょう。

 が――
 それは、退屈な文章にもなるに違いないのです。

「わかりやすい」と「退屈である」とは、実は容易には分け難いのですね。

 当然のことながら――
 実用文書では、わかりやすさが第一に求められます。
 よって、退屈であってもかまわない――

 ものすごく退屈でも、ものすごくわかりやすかったら――
 きっと読み手は「退屈であること」を忘れるでしょう。

 が――
 文芸の文章であれば、そうはいきません。

「退屈であること」が命取りになります。

 退屈な文章は読み手を楽しませない――魅了しない――
 つまり、文芸の本来の目的を果たせない――

 わかりやすいのに、退屈ではない文章とは、どういう文章か――

 それは、内容が退屈でない文章です。
 読み手の想定を越えている内容――「あれ?」と思わせる――「すごい!」と思わせる――そういう内容――

 文章の内容は実用文書よりも文芸の文章でこそ、質が求められます。