以前は、
――子供の個性を伸ばそう。
――画一的な人格は未熟だ。
といった主張がよくなされました。
少なくとも僕が高校生であった20年ほど前は、そうであったように思います。
そうした主張は、今日では、説得力を失っています。
――子供の個性は勝手に伸びるものだ。仮に大人が子供の個性を消そうと思っても、そんなことはムリだ。
とか、
――人格が画一的になるというこはありえない。むしろ、相異なる人格同士が折衷できずに困っている。
といった主張が説得力をもっています。
では、以前の主張が明確に誤っていたのかといえば、そうではありません。
おそらくは――
個性の問題ではなく、表現力の問題――
人格の問題ではなく、社交性の問題――
であったと、僕は考えています。
つまり、「子供の個性を伸ばそう」が、
――子供に表現力をつけさせよう。
であり、「画一的な人格は未熟である」が、
――社交性のない人格は未熟である。
であればよかった――
問題意識の方向は間違っていなかったけれど――
問題設定の着想は間違ってしまったのですね。
こうした主張は、今日においても、それなりの説得力が認められるでしょう。
表現力に乏しかったから、個性がないようにみえ――
社交性に乏しかったから、画一的であるようにみえたと思うのです。